長崎通さるく アンゼラスの鐘の丘を訪ねて
書きたいことはいろいろあるんですが、数回に分けてレポ報告したいと思います。
まずは9月16日(日) 朝10:00~12:00まで参加させてもらった長崎通さるく
アンゼラスの鐘の丘を訪ねてのレポです。
自分が選んだコースではあるんですが、正直、朝から気が重い。
しまったなあ。アンゼラスの丘を訪ねてって原爆のコースがほとんどだったんだ。
もっと軽いのすればよかったなあ。ちょっと朝から空気が重いんじゃないか?
長崎観光に来て、私と同じように原爆、戦争という部分を避ける人は多いのではないかと思います。
ちょっと正面からは見れないというか、もう昔の事だし、今の私には関係ない。
それに内容があまりに悲惨すぎる。
確かにそうですね。
朝のガイドさんからの最初の説明は原爆公園を中心としたところでした。
正直、朝からつらかったです。
でも真剣に話は聞かせてもらいました。
途中、途中で何度も何度も、ガイドさんが
永井博士、永井博士、永井博士って言うんですよ。
なんだ永井博士ってそんなに有名な人なの?
私は永井博士って説明聞くまでまったく知りませんでした。
しかしこの後事実がだんだんわかってきました。
ガイドさんからの説明を聞いて初めて知りましたが、写真は被爆後の浦上天主堂跡だそうです。
しばらくはこうやって、跡が残っていたそうですが、連合軍の指示によりすべてこの跡はなくなってしまったそうです。
なんでもそのままにしておくと、ヨーロッパのカトリック教徒がこの事を知ると騒ぎ出すという事を知っていた連合軍はこのような残骸は早く消したかったらしいのです。
もしこのまま残っていればこの長崎の地は、間違いなく世界遺産だっただろうとの事でした。
私も確かにそう思いました。
如己堂(にょこどう)
永井隆記念館でガイドさんから説明を受けて、さらに中でのビデオ上映を見ているうちにだんだん永井博士の生涯がわかってきました。
こんな素晴らしい方が長崎におられたのか。
人類愛に満ちた研究者
世界の平和を祈る人
作家そして父
永井氏の生涯については長くなるのでここでは書きません。
ただ私は正直、強く感銘を受けました。
わがいとし子よ
汝の近きものを己の如く愛すべし
そなたたちに遺す私の言葉は、この句を
もって始めたい。
そして恐らく終わりもこの句をもって
結ばれ、ついにすべてが
この句にふくまれることになるだろう。 いとし子よ より
「汝の近きものを己の如く愛すべし」
私が長崎に来て忘れられない強く残る言葉になりました。
さるく、永井記念館、参加させてもらって本当によかった。
浦上天主堂の鐘楼
これも知りませんでした。
ここからの説明、被爆マリア像の話も私の胸をうちました。
被爆マリア像も見せていただきましたが、正直 ここでも胸をうたれました。
最初は辛いスタートでしたが、最後はぐいぐい引き込まれていってしまってあっと言う間の2時間でした。
怒りの広島、祈りの長崎の言葉の意味が少しだけですがわかった気がします。
追伸
明日以降、時間があれば次はちょっとくだけて、丸山巡遊 文人墨客も思案したのレポをしたいと思います。
今日はさすがに自分で文章書いてるくせにチャンポンの画像は入れられませんね。
by katuyamak | 2007-09-17 23:46