唐津 旧高取邸~唐津城

10月13日(日)  十坊山からの続き

さて、JR福吉駅で、午前中の5時間の山歩きを終えても、朝が早かったので、まだ12時10分である。
かなり疲れていたが、JR唐津駅に行く事にした。

目的はミントさんのブログで見た炭鉱王 旧高取邸を見学する事である。
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JR唐津駅に到着
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ここが炭鉱王 旧高取邸である。
武雄の杵島炭鉱で財を築いたとの事。
部屋数が34もあるとか
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高取伊好(たかとり これよし)
1850年~1927年
炭鉱の一番いい時代です。

平成10年12月に国の重要文化財の指定を受ける。
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いや~、来てよかったなあ。
ふすまの絵もあったりして、見どころが多く、ボランティアさんの説明を2度聞いて、2度邸内を案内させてもらい歩いた。
1度周回して帰るだけでは、もったいない。
それくらいおもしろかった。

そうそう、おもしろかったのが、ボランティアさんそれぞれ、男性と女性だが、説明が微妙に違い、
それもまた楽しめたところだ。

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邸内が撮影禁止だったのが、残念。
中は是非、お金を払って行ってきて下さい。

伊藤伝右衛門邸もよかったが、こちらの方がもっと洒落とう

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旧高取邸から北に歩くと、すぐ目の前は、海である。
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海を見ながら、唐津城へ
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私が好きな門の風景
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唐津城の天守閣からは、宝くじの島が見えた。
宝くじが当たる神社。
宝当神社がある島。
え~と、何と言う島だったかな。忘れた(笑)
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左の山が今日登った十坊山、右のとんがった山が浮嶽
いつか縦走するのもおもしろそうだ。
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十坊山、旧高取邸、唐津城と大いに楽しんだ。
唐津城を後にする。
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唐津駅に向かうところにあったお店。
開いていたら、一杯飲みたい名前のお店である(笑)
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唐津駅前のアーケード街は、シャッター通りでもある。
仕方がないんだろうなあ。
閑散としていたし、申し訳ないが入りたくなる、お店も少ない。
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唐津らしいお店に入りたかったのだが、そこまでは調べてこなかった。
駅の中のラーメン屋さんにて。
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生ビールとラーメンで一人、孤独に乾杯
さて何に乾杯(笑)
いや、山に登って、旧高取邸、唐津城と見れたけん、十分たい。
天気もよかったけんね。
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ラーメンで足りず、列車の中でハイボールとイカゲソ
お土産は松露饅頭
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列車の旅は、やはり身軽なのがいい。
孤独ではあったが、楽しい一日であった。

旅の友の本
壬生義士伝(下)  浅田次郎
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by katuyamak | 2013-10-15 06:06 | 歴史・偉人・人物館の旅 | Comments(11)

京都散策 三十三間堂~霊山歴史館~寺田屋~月桂冠大倉記念館

9月23日(日)

日曜日の京都の街は朝から雨である。

本日は5時半頃起床。
風来坊さんは4時頃から起きてあったらしい。
本来は、山登りの予定であったが、深夜から降りだした雨で山歩きは中止とした。
よって、今日は京都観光をする事にする。

私が行きたいところは、1番は伏見の寺田屋だが、ここは10時から。
よって、8時から観光出来る 「三十三間堂」にまず行ってみる事にする。
2回行かれた風来坊さんは、その間、会社で仕事されるとの事。
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8時からだからゆっくり見れるかと思いきや、高校生の団体さんと一緒になる。
賑やかに鑑賞。
中が撮影禁止だがここは素晴らしいところ。
私は30年ぶり位の2回目。

次は霊山歴史館。
ここからはまた、風来坊さんの案内。
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霊山歴史館 2回目の訪問
前回、あまりにも時間が無くゆっくり見れなかった為。

今回は、風来坊さんと、10人で満席くらいの小さなミニシアターみたいな映像なんかをゆっくり鑑賞して見て歩く。
ただ前回より、出品数が少なかった感じ。
前回は、特別展示なんかがかなりあったんじゃないかなあ?
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霊山歴史館の後は、二人でぶらぶらと京都祇園周辺を歩く。
いい雰囲気。
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前回食べて大変美味しかった「にしんそば」
今回のお店はどうしてだろう?
名店のはずが、大したことなかったし、にしんも固い。
ご飯とセットで、1400円もしたのに。。
なんか損した気分
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食後は、京阪電車で伏見 伏見桃山駅へ移動。
さあ、2週間前に時間が過ぎて、前回入れなかった「寺田屋」へGO!
伏見桃山駅から歩いて10分位の場所
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女性だけの二人連れ、グループも多く、記念撮影してあります。
歴女達かな?

さあ、400円払って、いよいよ中へ。
私はどうしても、ここに来たかったのだ。
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入口すぐに案内板が・・
ほう、泊まれるんだ。

風来坊さんが教えてくれた。
観光客が15時40分までしか入れないのは、泊まりのお客さんがあるからですよと・・・・

前回、私が16時10分に着いて、入れなかった事を覚えていただいてたので、その回答だった。
なるほど、泊まり客があれば、チェックイン16時としたら観光客がいたらうるさいよねえ。
なるほど、よくわかりました。
いや~、私もここに泊まりたいなあ。
でも2名様からだもんなあ。
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最初は2階から見て回るようになっている。
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絵が飾ってあるが、なにせここは、まさにそのものの場所である。
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この古写真は目に焼き付いた。
龍馬が怪我をして、材木小屋の2階に隠れていた話しがあるが、古写真でその材木小屋の2階が写っている。
歴史を感じる1枚である。
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わざわざ伏見まで、9月に2回も来てよかったよ。
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お風呂場
ここも見たかった場所
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さて、寺田屋観光を十分楽しんだ後は、ぶらぶら歩いて、近くの月桂冠大倉記念館
入場料は300円だが、300円の日本酒のお土産をもらえる特典あり。
この特典は、おいしいです。
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まずは酒造りの大事なポイント
伏見の水をいただく。
微妙に水に癖があり、これがうまさの秘訣なのかなあ。

痩せてスマートになられた風来坊さんも満足そう。
横から見ても腹が出ていませんね(笑)
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お土産にもらったアルミカップ。
さていつ飲もうか・・・
なんか日本酒もいいもんだなあ。
試飲もしっかりさせてもらう。

そうそう、風来坊さんはこの月桂冠大倉記念館が一番気に入ったそうである。
月桂冠の前掛けを買われて、すっかりご満悦であった。

下の画像は風来坊さんのブログから借用
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酒屋の大将のようでなかなかお似合いでした。
お酒をこよなく愛する風来坊さんにピッタリかと・・・
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場所を変えて、黄桜さんへ
ここでもお金を出して、2杯いただく。
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でも少量なのでまだ日本酒を飲みたい(笑)
地元で有名らしい、鳥せいさんに入り、冷酒をいただく。
私は1杯で十分酔いがまわったが、風来坊さんは2杯飲まれる。

でもきっと用事がなくて帰るだけなら、きっと風来坊さんはガンガン飲んでいたと思う。
この後、用事があるらしく、抑えてあったのがわかったもんなあ。
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いい気持ちになったところで、風来坊さんとは京都駅で別れる。

風来坊さん、何から何までお世話になりました。
滋賀県の山にも登れて、楽しい2日間でした。
いい思い出になりました。
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帰りの新幹線では月桂冠の冷酒を思わず買って、これで完全に酔いがまわる。
画像に今回の関西の旅で読んだ本が写っている。

今回の旅で体験した事

毎度おなじみ 串カツ
大阪難波 ぼてじゅうの焼きそば
読んだ本 「赤ひげ診療譚」
滋賀県の武奈ケ岳
山登りの臨時バスも出て、バスに乗るのに並んだ事
単独だったら、この段階で山歩きは止めていただろう
京都の街
京都の地下鉄 
京阪電車
三十三間堂
霊山歴史館
京都祇園
にしんそば
寺田屋
月桂冠大倉記念館
黄桜酒造
伏見の日本酒
鳥せい

でも一番は、風来坊さんお手製のキムチ鍋を食べれた事とその後のテレビドラマの「みをつくし料理貼」
を見れた事かなあ。

風来坊さんの部屋なのに、、隣で寝ている風来坊さんを無視して、わが部屋のように、すっかりくつろいでいたもんなあ。
楽しい関西の週末の旅でした。
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終わり
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by katuyamak | 2012-09-26 06:55 | 歴史・偉人・人物館の旅 | Comments(6)

山本作兵衛さん

田川市石炭・歴史博物館に展示されてある山本作兵衛さんの絵。
2011年5月 ユネスコ世界記憶遺産に登録されましたね。
炭坑記録画、日記等627点。

今日は人物・人物館の旅として、山本作兵衛さんの事を、「ヤマの記憶」に書かれてある年譜を参考に書いてみます。

人物館巡りではないけれど、世界記憶遺産に登録された事で、田川市石炭・歴史博物館がそのまま山本作兵衛さんの資料館と言ってもいいかと思います。


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山本作兵衛
1892年(明治25年) 0歳  福岡県嘉麻郡松村鶴三緒で誕生
1899年(明治32年) 7歳  尋常小学校当時7歳。炭坑の仕事を手伝うようになる。
1904年(明治37年)12歳  ツルバシかじに弟子入り
1906年(明治39年)14歳  山内坑に入坑
1912年(明治45年)20歳  徴兵検査を受けるが、難聴等で兵役免除
1916年(大正 5年)24歳  水町タツノと結婚
1918年(大正 7年)26歳  長女ハツ子誕生(6月永眠)
1919年(大正 8年)27歳  長女(実際は次女)ハル子誕生
1922年(大正11年)30歳  長男 光誕生
1924年(大正13年)32歳  次男 大吾誕生
1928年(昭和 3年)36歳  次女ミ子誕生
1945年(昭和20年)53歳  長男 光戦死
1955年(昭和30年)63歳  長尾鉱業閉山に伴い、解雇。資材警備員となる。
1958年(昭和33年)66歳  炭坑の記録画を画用紙に墨で描きはじめる。
1963年(昭和38年)71歳  「明治大正炭坑絵巻」出版
1964年(昭和39年)72歳  交通事故 頭部内出血で九死に一生をえる。
1963年(昭和40年)73歳  初個展「山本作兵衛翁炭絵画展」開催
1967年(昭和42年)75歳  「炭坑(やま)に生きる」出版
                 勲六等瑞宝章受章
1981年(昭和56年)89歳  「王国と闇 山本作兵衛炭坑画集」出版
1984年(昭和59年)92歳  老衰のため永眠(5月)
                  妻タツノ永眠(12月)
2011年(平成23年)     ユネスコ世界記憶遺産に日本国内で初めて登録

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年譜をあらためて読み驚きました。
炭坑夫として50年も働いてあるんです。
50年間ですよ。
これは凄い事です。
今の福利厚生が行き届いた時代ではなく、明治、大正、戦前の昭和の劣悪な環境。
さらに三井、住友のような環境の行き届いた大手のヤマではなく、小さなヤマで50年間。

7歳から親を助けて、12歳から62歳まで

男性の方ならよくわかるでしょう。
一つの仕事を50年続ける事がいかに凄い事か・・・
それが、とてもつらい炭坑夫の最前線での仕事。

そして60歳過ぎてから死ぬまで絵を描き続ける強烈なエネルギー。


平成の現代社会の今でも、とてもハードな仕事は、今も多々ありますよね。

たとえば肉体労働の運送業などで、普通の人は、40代、50代ともなれば体が動かなくなり、管理職になったり、事務職や、配車の手配したり、別の業種の仕事をしたり、あるいは仕事を辞めていきますが、それを辞めろと言われるまで最前線の現役で62歳まで。

さらに絵描きになって、炭坑の記録画を画用紙に描きはじめたのが66歳。
そこからユネスコ世界記憶遺産に登録されるような絵を老衰で亡くなる92歳まで。
死ぬまで描き続けられたんです。


こんな芸術家の方っているでしょうか?
炭坑夫時代には、人に言えない、いろんな苦労がたくさんあったんではないか?と推測します。


長女ハツ子さんの病死、長男 光さんの戦死、72歳での交通事故。

作兵衛さんの絵は、地底からの心の叫びのようです。
地底でいろんな事を体験されてこられた事を、心の想いを60歳過ぎて、絵にすべてぶつけられたんだなあと推測します。


そうやって年譜をあらためて調べたうえで、「ヤマの記憶」を読むと、
(と言うか眺めてみると)ついつい涙が出てきます。



「ヤマの記憶」より 


昭和42年11月14日
思いもかけず郷土文化の振興で勲六等瑞宝章をいただきました。
ヤマの下罪人(抗夫)とても勲章をもらうような資格もなく、ただ私の見聞きしたことを忠実に絵や文にしただけでございます。
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学者や小説家の人たちが書かれたものはありますが、実際にヤマで働いた人のはないと聞きました。
片言まじりで恥ずかしいのもかえりみず、絵や文にしたのは数百年後の子孫のため明治、大正、昭和のヤマはこうだったといっておきたかったからです。







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よかったら、田川石炭歴史博物館に行かれてみてください。
絵を鑑賞する事で、今も山本作兵衛さんに出会う事が出来ますよ。

私も、近いうちに筑豊の低山を登った帰りにまた行く予定にしています。



参考資料
「ヤマの記憶」   西日本新聞社
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by katuyamak | 2012-01-30 06:44 | 歴史・偉人・人物館の旅 | Comments(2)

青春18きっぷ⑤ 後編 長崎市 鍋冠山(169m)~帰路

1月8日(日)
前編からの続き。
さて、大浦天主堂の観光も終えて、次にどこに行くあてもなく、なんとなくぶらぶら歩く。
お土産屋さんの中に聖コルベ記念室があり、100円で中に入る。

ドイツ アウシュビッツ収容所で亡くなられたコルベ神父は長崎市の大浦天主堂にもおられたんですね。
なお、コルベ神父の身代わりの死のおかげで生き延びられた男性は90歳まで長生きされたらしい。
こんな事も足を運んでみないとわからないもんです。



さて、私はのんびりと一度、電停まで引き返したが、またなんとなく南山手の家並みを見ようとまた坂道をゆっくり登りつつ歩いてみる。

登ってて、ふと思い出した。
そうだ。このまま登ると鍋冠山に行けるのではないか?
グラバー園のところまで歩いてそう確信。
案内板があった。
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鍋冠山は、自宅に帰り調べてみたら2006年に1度登っている。
道はなんとなく覚えている。
とにかく坂道の登りがあるところをひたすら登る。
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今日は登山靴を履いてきた。
登山靴にぶ厚い靴下を履いてないと、足元が寒いんです。
なにせ風が吹きさらしの、普通列車に4時間乗りますからね。
今の時期の青春18きっぷは女性の方にはしんどいかもしれません。
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のんびり歩いて、30分くらいだったかなあ?
よく覚えていません。
鍋冠山山頂(169m)、公園になってます。
展望台からの眺望が実にいい。
長崎市、全体が見渡せます。
ここから見る夜景もいいらしいです。
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女神大橋も見える。
ちょうど太陽が照らしてくれていたので、ベンチに座ってボ~っと日向ぼっこしつつ、しばらく、のんびりとしてました。
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三角点もちゃんとあります。
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下りはまた大浦天主堂の見える祈念坂をのんびり下る。
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大浦天主堂下の電停近くのみらく苑で皿うどんを食す
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まあまあ、かな?
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諏訪神社前まで電車で移動して、長崎歴史文化博物館を訪問。
そよかぜさんより、前売り券をいただいていたのです。
長崎奉行所跡を訪問。
ここで取り調べがあってたんですね。
踏み絵等も展示してありました。
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博物館付近で、これはまた懐かしい看板を発見。
由美かおるさんが、まだ20代?
ネットで調べたら、由美かおるさんは1950年生まれの現在61歳。
そうするとおそらく40年位前の看板ですね。
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帰りは長崎駅18時発の列車で博多へ。
対面式シートだったので、意外に疲れる。
2人掛けの席の方が、長い時間乗るとその方が楽。
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帰りは酎ハイ飲みながら、「長崎ぶらぶら節」を読んでました。
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青春18きっぷも5回すべて、使い切りました。
振り返れば、
12月11日 ①大分県中津市の旅
中津城、福澤諭吉旧宅、双葉山記念館

12月18日 ②長崎県長崎市の旅
永井 隆記念館、浦上天主堂、シーボルト記念館、立山防空壕跡

12月23日 ③長崎県外海地区の旅
遠藤周作文学館、ド・ロ神父記念館、出津教会、大野教会、バスチャン屋敷跡、大野岳

12月25日 ④熊本県熊本市の旅
横井小楠記念館

 1月 8日 ⑤長崎市の旅
日本二十六聖人記念館、大浦天主堂、鍋冠山、聖コルベ記念室、長崎歴史文化博物館

いや~、11500円で、5回分、たっぷりと楽しめました。

列車の中で読んだ、遠藤周作さんの小説もとてもいい思い出となりました。

52歳で初体験の青春18きっぷの旅でしたが、実にいい旅でした。

しかし、青春きっぷを買う前までは、私も全然予想もしていなかったのですが、遠藤周作さんの小説「沈黙」「女の一生」を読み、、長崎のキリスト教の歴史、隠れキリシタンの歴史をほんの少しでもわかった事が一番の収穫だったかもしれませんね。

自分が予想もしていない世界に、足を踏み入れていくのも、これまた旅のおもしろさなのかもしれません。
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最後に・・・
さて、自宅に帰り風呂に浸かり、布団に入り、まだ頭が冴えていたので、眠くなるまで読書をする。
本日、大浦天主堂横の売店で売っていた「長崎オラショの旅」の本を何気なく読む。
眠くなったので、ページの間にしおりを挟み、寝ようとした瞬間。

そのしおりをしばし、見ておもわず 「ワア!」と声が出てしまった。
年配の女性の店員さんが、本を買った時に、しおりを本にはさんでくれていたんです。
そのしおりがなんと「サンタ・マリアの像」のしおり。
私が記憶に留めておきたかった、あの信徒発見のマリア像だったんです。
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このしおりならば、画像として撮影して、ブログで公開してもいいですよね?
いや~、この時はびっくりした。
まさか、こんな形で見れるとは思ってなかった。

寝る前の最後の最後で、神様はこんなサプライズを用意してくれてました。
私は特にキリスト信者でもありませんが、もしかしたら神様はこんな形で表れてくれているのかもしれませんね。

今日の旅は充実してました。
おかげで、最後はとても満たされた気持ちで旅が終わりました。





1月10日 さらに追伸(笑)
今日は会社で仕事しつつ、日曜日の夜、寝る前の出来事の意味を考えてました。
嬉しいサプライズでした。
こんな事ってあるんだなあ。
でも冷静に考えれば、ただ店員さんがしおりを入れてくれていただけの事。

まあ、こう思ってしまえば、身も蓋もないけど(笑)

でも私はやはり、違うと思います。
私がサンタマリアの像を見たいと思い、行動を起したから、神様から、こうやって「しおり」をいただく事が出来たんだと素直な気持ちでポジティブに受けとめたいんです。

年始そうそうに嬉しい出来事でした。
これからこの「しおり」を、本を読む時に大事に使って、神様からのプレゼントを素直な気持ちで、時々眺めながら読書していきたいと思ってます。

マリア様、こんな私に素敵なプレゼントをありがとうございました。
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by katuyamak | 2012-01-10 05:59 | 歴史・偉人・人物館の旅 | Comments(8)

青春18きっぷ⑤ 長崎市の旅 前編 二十六聖人、大浦天主堂

1月 8日(日)
青春18きっぷを使った旅も残りが1回となる。
当初は、最後の旅は、山口県「萩」を予定していた。
しかし遠藤周作の「沈黙」を読んで以来、私の心はすっかり長崎の虜(とりこ)となってしまった。

もうしばらく、長崎に関する読書をし、訪問先もあと島原、平戸を訪問しないと、他の偉人・人物を訪ねる旅をどうしても行く気になれない。
今はとにかく心は長崎だけなのです。

そんな訳でまたまた長崎市に行ってきました。

博多発5:13分の鹿児島本線の普通列車に乗る。
長崎駅着9:12分着

片道の電車の中で、図書館で借りた「浦上四番崩れ」を読む。
浦上四番崩れが残りあと50ページとなったところで長崎駅に到着。
最後まで読まないと気持ち悪いので、長崎駅2階のロイヤルでモーニングを食べながら、1冊読み終える。
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昨年12月から、ここまで読んだ本
「沈黙」          遠藤周作
「切支丹の里」       遠藤周作
「女の一生 キクの場合」  遠藤周作
愛のひと ド・ロ神父の生涯 西岡由香(漫画)
「浦上四番崩れ」      片岡弥吉
とここまで夢中になって読む。
12月23日の長崎 外海(そとめ)地区の旅から長崎キリシタンの歴史をもっと知りたくて、仕方ないのです。

今日はとてもいい天気です。
しかし朝の普通列車の中は寒かった。

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最初の観光は、長崎駅を降りてすぐのところにある
日本二十六聖人記念館。
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私もこの場所は何度か来ているが、詳しい歴史は知らなかった。
記念館の中もたぶん、初めて入る。(500円)
記念館入口付近のキリシタン墓地
記念館の中は撮影禁止。
二十六聖人の事を書こうと思ったが、長くなるので止めておきます。

1時間位、館内をゆっくり見学。
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チンチン電車で移動して、思案橋横丁のヨコハマへ。
本当は、隣の康楽(かんろ)という店のチャンポンを食べるつもりだったが、休み。
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特製チャンポン 980円。
最初は普通のチャンポンかなあと思って食べていたが、なかなか旨し。
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ご馳走様です。
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食後は、本日のメイン。
大浦天主堂へ。
チンチン電車で西浜町から大浦天主堂下で下車。
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「女の一生 キクの場合」を読み終え、どうしても大浦天主堂に行きたくなったのだ。
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国宝 大浦天主堂は、長崎市の観光名所ですよね。
長崎市に来たら、まずは、こことグラバー園。
チャンポンとカステラは定番ですよね。

しかしこの大浦天主堂に当時から悲しい歴史があった事は、今回初めて知ったのです。
私は教会の中にある
サンタマリアの像を見たかったのです。
残念ながら撮影禁止でしたが・・・
サンタマリアの像は撮影して記憶に残しておきたかったのですが、残念。


遠藤周作 「女の一生 キクの場合」より
キクが大浦天主堂のサンタマリアの像に祈るシーン。

あんたがどなたかは知らん。ぱってん清吉さんが崇めとる女たい。
女ならうちのこん気持ち、わかってくだされ。おねがいします。
清吉さんば辛か目にあわさんごとしてくだされ。

あんたも女子なら・・・うちのこん悲しか思いば・・・・。

しゃくりあげ、嗚咽し、肩を震わせ、キクはその像に訴えつづけた。
恨みごとを言った。
彼女は切支丹ではなかったから聖母への祈りなど毛頭、知らなかったが、この恨みごと、この嗚咽もまた人間の祈りにちがいなかった。



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プチジャン神父
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信徒発見のレリーフ
中央で立っているのがプチジャン神父。
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大浦天主堂とプチジャン神父の事

大浦天主堂
1865年2月19日完成
正式名は日本二十六聖殉教者堂
日本最古のキリスト教建築物。

その名の通り日本二十六聖人に捧げられた教会堂であり、教会は殉教地である西坂に向けられている。
建立間もない天主堂は、「南蛮寺」「フランス寺」と呼ばれていた。
しかし完成しても日本人は誰も来なかった。
キリシタン禁制が厳しく敷かれていたからである。


プチジャン神父 1829年ー1884年
フランス出身のカトリック宣教師


信徒発見の出来事(1865年 3月17日)
豊臣秀吉、徳川家康と続いたキリシタン弾圧により、日本にはもうキリシタンはいないと思われていた。
プチジャン神父は、まだ日本にこの長崎のどこかにキリシタンがいるのではないか?と密かに考えていた。

お昼頃、男女小児うち混じった十二人から十五人ほどの一団が天主堂の門前に立っていた。
「ここにおります私たちは、皆あなたと同じ心でございます。」
「サンタ・マリアのご像はどこ?」
プチジャン神父は大変喜び、フランスに宛てた手紙にローマ字でこう書いていたそうです。
「Santa Maria no go-zo wa doko?」
250年続いたキリシタン禁制から隠れキリシタンの信徒発見の瞬間だった。
ここからサンタ・マリアの像は「信徒発見のマリア像」と言われるようになったらしい。

しかし皮肉な事にこの信徒発見が、浦上四番崩れを引き起こす事となる。
(崩れ キリシタン弾圧の事。浦上地区 4回目の弾圧の意味)
隠れキリシタンが公然と信仰を表明するようになったため。

明治新政府は、3,394名を津和野その他の地区に流罪、殉教者613名。
1870年ー1872年(明治3年ー5年)
飢餓、寒さ、火責め、水責め、算木責め

私は当初、明治維新、明治新政府になったからキリシタン弾圧が無くなったと思っていたが違っていた。
当時の明治新政府はみなキリシタン弾圧 賛成、当然の事の人ばかりだったのだ。

しかしこの長崎 浦上村の出来事により、日本政府は全世界を敵にまわす事になる。
この事を知らなかったのは、実は日本政府だった。
1871年(明治4年)岩倉大使一行がアメリカ、英国、各国を歴訪したが、ブーイングの嵐でどこの国からも猛抗議を受ける。

現代なら日本人拉致を知らん顔してる北朝鮮みたいな立場でしょうね。

日本国内の問題だし、これは鎖国してたから知りませんでしたでは、もう通用しなくなっていたんですね。

これでやっと日本政府も目が覚めて、1873年(明治6年)2月24日
キリシタン禁制の高札を撤去。
キリシタン禁制は262年ぶりにその効力を失った。
浦上四番崩れも読んだせいか、いろんな事実を知りました。
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教会の中では、サンタ・マリアの像もゆっくり見る事ができました。
来てよかったですねえ。
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祈念坂
映画「解夏」の中でもこの場所が撮影されてましたね。
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旅の土産に大浦天主堂に隣接する場所で本を2冊買いました。
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本日、私が日帰りで旅を終えて、自宅に帰り、23時頃、寝る前にアッと驚くサプライズがあったんですよ。
寝る前でしたが、私は思わず「ワア!」と声が出ました。

これは後編の最後の最後に書いておきますね。

青春18きっぷ⑤後編 鍋冠山の山歩きに続く~
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by katuyamak | 2012-01-09 16:28 | 歴史・偉人・人物館の旅 | Comments(8)

◆2012年 歴史・人物・人物館の旅








■その 2回■ 双葉山生家跡 ・1月  日(日)
     ・


■その 1回■ 福澤諭吉旧居 ・1月  日(日)
     ・
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by katuyamak | 2011-10-31 10:19 | 歴史・偉人・人物館の旅 | Comments(0)

京都嵐山  美空ひばり座

9月19日(月)
9時半開園で美空ひばり座の中に入る。
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ここで美空ひばりさんの事を簡単に書いてみたい。

昭和12年 横浜市の魚屋 魚増の長女として生まれる
昭和24年 12歳の主演映画「悲しき口笛」がヒット 主題歌は45万枚の大ヒット
      (当時の最高記録)
昭和25年 主演映画 「東京キッド」上映
昭和27年 シングル 「リンゴ追分」130万枚
昭和29年 NHK紅白歌合戦初出場 江利チエミ、雪村いずみと共に3人娘と言われる。
昭和32年 浅草国際劇場でファンの少女から顔に塩酸をかけられ緊急入院。
昭和37年 日活スター小林旭と結婚 
昭和39年 わずか2年で離婚 ただし実際は2人は入籍しておらず、ひばりは生涯独身だった。
昭和40年 「柔」 180万枚 ひばりの最大ヒットとなる
昭和41年 シングル 「悲しい酒」145万枚
昭和42年 シングル 「真っ赤な太陽」140万枚
昭和63年 東京ドームのこけら落とし 不死身コンサート実現
平成元年  シングル「川の流れのように」 150万枚
平成元年  52歳没
  同年  女性初の国民栄誉賞受賞

映画出演本数       158本
シングル枚数       527曲
通算レコーディング曲数 1500曲
レコードの累計売上枚数 8000万枚


ウィキペディアより
その他参考資料
見た映画 「悲しき口笛」、「東京キッド」
その他読んだ本  「美空ひばりは鶴だった」、「美空ひばりプライベート写真集」

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前のところで私は美空ひばりのファンではないとハッキリ書いたが、今の段階ではファンではないけれど、冷静に美空ひばりの事を調べて、映画も観て、歌も聞いて、本も読んだり、美空ひばり座にも行かせてもらって、今は美空ひばりさんがだんだん好きになってきている状態だと思う。

亡くなったのが、52歳。
私も今年11月で52歳になるので、ほぼ同じだけ生きてきた。
51歳だと、美空ひばりさんは今の時期は病魔と闘っていた頃だ。

美空ひばり座に来てみて、生きざまがよくわかり、博多から出て来てよかったと思った。
凄い人だったのがよくわかる。

亡くなられてもう23年もなるのに、私は美空ひばりさんの事はNHK紅白に偉そうに出てくる、おばさん程度位にしか、よく知らなかった。

今の年代になって、10代の主演映画や若い頃の歌を聞いてそのうまさにあらためて驚く。
つい最近 「りんご追分」を聞いた時は、正直あまりの歌の凄さにびっくりした。 



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入場口の1階はカメラ撮影可能だったが、2階からはダメだったので、画像としてはここまで。
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2階から上のいろんな展示物もおもしろかった。
9時半からすぐの入場者だったので、1番目か2番目だったので、のんびり見られた。
2階をデジカメで写していたら、写さないで下さいとすぐ人が来たので画像はない。
下の画像のもらったパンフレットで何となくわかるかなあ。
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パソコンから美空ひばりさんのオリジナルCDを作ろうというところのコーナーはおもしろかった。
美空ひばりさんの1600曲の中から好きな曲を1曲210円でひろって、CDが作れるので私も作ってみた。
こんな感じ。記念のいいお土産になりました
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曲は
上を向いて歩こう
悲しき口笛(12歳の頃)
リンゴ追分
悲しき口笛(25歳位の頃)
津軽のふるさと
川の流れのように

だったかなあ?
毎日、車の中で聞いてますが、いいですねえ。
あ。やっぱりいつの間にかファンになったのかな(笑)
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もっと美空ひばりさんの当時の映画や歌も聞きたいのですが、次は9月25日に大分県 臼杵市に
野上弥生子さん生家を訪ねる旅を予定しています。

野上弥生子さんの本も今から予習して、読まないといけないので、歴史、偉人、人物を訪ねる旅もなかなか忙しいのです。

でもその調べている人物を知れば、知るほどその人が好きになるのはきわめて自然な流れなんでしょうね。
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by katuyamak | 2011-09-22 05:11 | 歴史・偉人・人物館の旅 | Comments(4)

偉人・人物を訪ねる旅① 伊藤伝右衛門・柳原白蓮

風来坊さんと福岡県飯塚市の伊藤伝右衛門邸を訪問したのは今年の5月。2度目の訪問です。
通常、観光名所の2回目をすぐに再訪する事なんて、滅多にありません。
でもこの伊藤伝右衛門邸はそれだけ魅力ある場所だったんです。
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旧伊藤伝右衛門邸 福岡県飯塚市幸袋300番地
入館料300円 火・水が休館
開館時間 9:30~17:00 
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庭の手入れをするだけで、年間1千万円の保守料がかかっているらしい。
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伊藤伝右衛門
いとうでんえもん
筑豊の炭坑王 1860-1947
父 伝六の目明しの子として生まれる。
伝六が炭坑で財をなすまで、とても貧乏だった。
夏には蚊帳がなく、蚊帳は質屋から出せずにいたらしい。
寺小屋も貧乏で行けず、伝右衛門は文盲だったらしい。
魚売り、卵売り、西南戦争の軍夫、遠賀川の船頭等を経験。

西南戦争が終わり、伝六が炭坑の仕事をするようになり伊藤親子に運が向いてくる。
伝右衛門35歳 日清戦争始まる
経営者の松本潜と実質的な経営者の中野徳次郎と伊藤伝六の伊岐須炭坑を八幡村の製鉄所が買い上げた。
当時の価格で130万円を松本潜は大半を中野と伊藤に分配する。

父伝六が61歳で亡くなると、ここから息子 伊藤伝右衛門の登場40歳。
44歳 衆議院議員当選
45歳 日露戦争始まる~好景気に沸く
55歳 第一次世界大戦

明治43年最初の妻ハルが病死。この9ケ月後に再婚
伊藤伝右衛門52歳。
柳原燁子(あきこ 歌人の雅号で白蓮)27歳 大正三美人の一人

筑豊の炭坑王が伯爵令嬢と結婚する。
この時、この結婚は地元筑豊では驚きと騒ぎ。同じく東京でも大ニュースとなる。

ただしこの結婚は、燁子の兄・義光の貴族院議員出馬資金調達と伝右衛門側の名門との結びつきを求める利害が一致してのものであった。

ここから10年間。伊藤伝右衛門邸の中で筑紫の女王 燁子はカゴの中の鳥になってしまう。
伊藤家の中も複雑で父の妾の子や伝右衛門の妾に妾の子も多数同居していた。
伝右衛門を挟んで妾と一緒に蒲団を並べて寝た事もあったらしい。

伊藤伝右衛門邸の中で燁子は悶々とした日々を過ごしていたんだろう。
当時の燁子さんの毎月のお小遣いが月 500円(現在の月500万円)
に溺れずにお金をとらず、最後は恋を選んだ。

10年後、新聞記者 宮崎龍介と恋仲となり、伊藤邸を逃げ出す。

ここからがこの燁子の凄いところ。
二人で逃げて姿をくらますだけではなかった。
大阪朝日新聞の夕刊に公開絶縁状をたたきつける。

要約すれば 「あなたは最低の夫です」みたいな事をいろいろ書いてある内容。

当時の女性からすれば考えられない大胆な行動。
当時は、そうしなければもう逃げられないと思っていたのかもしれない。


この大胆な行動は後で燁子とその親族を苦しめる結果となる。
兄は貴族院を辞職。白蓮は男児を出産後(宮崎龍介との子)、尼寺に幽閉の身となる。
男尊女卑のこの時代、新聞を通しての絶縁状の公開は大きな社会的反響を呼び、当時の世論は白蓮を激しく非難する声で満ちた。
それでもやがて、宮崎龍介と幸せに暮らす事になる。

私はここから後の行動が伊藤伝右衛門の男らしい素晴らしいところと思っている。
伊藤伝右衛門は二人に対して、姦通罪で訴える事もしなかったし、言い訳もあえてしなかった。
また再々婚するまで、こっそり仕送りもしてあげていたらしい。
新聞に嫁さんから、恥ずかしい公開絶縁状をたたきつけられて、そんな行動が出来るだろうか?

最初に伊藤伝右衛門邸を訪問した時は、私も当時は白蓮さんに同情した記憶がある。
伊藤伝右衛門邸を訪問される女性もほとんどが白蓮さんの味方だろうと思う。
白蓮さんが暮らしていた2階の部屋で泣いておられた観光客の年配の女性を見た。
きっと白蓮さんのつらい時期をいろいろと想像されて、おもわず涙されたんだろうと思った。


でも2回目に伊藤邸を訪問した時に思ったのは、伝右衛門さんも相当にいろんな面を我慢していたんじゃないだろうかと思うように変わってきた。

ただ言える事は子供時代は、貧乏生活で、炭坑夫から成り上がった伝右衛門さんと、伯爵令嬢で教養あるお嬢様の白蓮さんとの夫婦生活はまったくかみ合わなかった事。

そしてその冷え切った10年間の夫婦生活を送った伊藤伝右衛門邸が今も昔の面影を残したまま、平成の今も飯塚市の素晴らしい観光名所として残っている事。

ここに歴史のおもしろさを感じるのです。
当時の人達はスケールが違いますね。

伊藤伝右衛門さんは地元にもたくさん寄付をしてある。
地元のみんなに好かれるスケールのでかい人だったと思う。
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炭坑王の本の最後に書かれてある内容が、二人の事をよく表現してある。

「白蓮は姦通罪をモノともせずに恋人のもとへ走った勇気ある近代女性として、伝右衛門は逃げる女をきっぱり見切った潔い川筋男として、軍配はともに勝者なり。」

伊藤伝右衛門 昭和22年  数え88歳で天寿を全う
柳原白蓮   昭和42年    81歳で死去。
晩年は緑内障で両眼失明するが、龍介の介護のもと歌を詠みつつ平穏で穏やか       な幸せな生涯を閉じる。

離婚しても二人は、明治、大正、昭和の時代を精一杯生き抜いた。

参考資料
炭坑王  宮田昭
Wikipedia 伊藤伝右衛門、柳原白蓮。


 
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by katuyamak | 2011-08-22 05:56 | 歴史・偉人・人物館の旅 | Comments(6)

◆2011年 歴史・人物・人物館の旅

■その11回■ 横井小楠記念館 ・12月25日(日)
     ・熊本市 青春18きっぷを使って。

■その10回■ ド・ロ神父記念館・12月23日(金)
     ・長崎県 初めてド・ロ神父の事を知る


■その 9回■遠藤周作文学館・12月23日(金)
     ・長崎県タクさん、平六さん、そよかぜさんと。「沈黙」の小説は自分には衝撃的。

■その 8回■ シーボルト記念館 ・12月18日(日)
     ・長崎市 青春18きっぷを使って。本は児童書「発覚、シーボルト事件」


■その 7回■ 永井隆記念館 ・12月18日(日)
     ・長崎市 青春18きっぷを使って。1時間以上、ゆっくりと見学。
      本は児童書と「この子を残して」


■その 6回■ 双葉山生家跡 ・12月11日(日)
     ・大分県中津市 青春18きっぷを使って。天津駅から歩く。


■その 5回■ 福澤諭吉旧居 ・12月11日(日)
     ・大分県中津市 青春18きっぷを使って。中津城も見学。
      本は児童書で福澤諭吉2冊と電車の中で「福翁自伝」「学問のすすめ」

■その 4回■ 美空ひばり座 ・9月
      ・住所 京都市右京区嵯峨天龍寺すすきの馬場町3-25
  参考 美空ひばりは鶴だった。美空ひばりプライベート写真集。
       映画「悲しき口笛」、「東京キッド」

■その 3回■ 佐野常民 ・9月
     ・佐賀県 本は「火城」

■その 2回■ 下村湖人生家 ・8月
      ・参考 佐賀県神埼市千代田町 下村湖人生家・本 次郎物語

■その 1回■ 伊藤伝右衛門・柳原白蓮 ・5月
      ・参考 福岡県飯塚市 伊藤伝右衛門邸・本 炭坑王

■はじめに■ その経緯 ・8月
      ・参考 遅咲き偉人伝
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by katuyamak | 2011-08-05 05:27 | 歴史・偉人・人物館の旅 | Comments(0)