山本作兵衛さん

田川市石炭・歴史博物館に展示されてある山本作兵衛さんの絵。
2011年5月 ユネスコ世界記憶遺産に登録されましたね。
炭坑記録画、日記等627点。

今日は人物・人物館の旅として、山本作兵衛さんの事を、「ヤマの記憶」に書かれてある年譜を参考に書いてみます。

人物館巡りではないけれど、世界記憶遺産に登録された事で、田川市石炭・歴史博物館がそのまま山本作兵衛さんの資料館と言ってもいいかと思います。


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山本作兵衛
1892年(明治25年) 0歳  福岡県嘉麻郡松村鶴三緒で誕生
1899年(明治32年) 7歳  尋常小学校当時7歳。炭坑の仕事を手伝うようになる。
1904年(明治37年)12歳  ツルバシかじに弟子入り
1906年(明治39年)14歳  山内坑に入坑
1912年(明治45年)20歳  徴兵検査を受けるが、難聴等で兵役免除
1916年(大正 5年)24歳  水町タツノと結婚
1918年(大正 7年)26歳  長女ハツ子誕生(6月永眠)
1919年(大正 8年)27歳  長女(実際は次女)ハル子誕生
1922年(大正11年)30歳  長男 光誕生
1924年(大正13年)32歳  次男 大吾誕生
1928年(昭和 3年)36歳  次女ミ子誕生
1945年(昭和20年)53歳  長男 光戦死
1955年(昭和30年)63歳  長尾鉱業閉山に伴い、解雇。資材警備員となる。
1958年(昭和33年)66歳  炭坑の記録画を画用紙に墨で描きはじめる。
1963年(昭和38年)71歳  「明治大正炭坑絵巻」出版
1964年(昭和39年)72歳  交通事故 頭部内出血で九死に一生をえる。
1963年(昭和40年)73歳  初個展「山本作兵衛翁炭絵画展」開催
1967年(昭和42年)75歳  「炭坑(やま)に生きる」出版
                 勲六等瑞宝章受章
1981年(昭和56年)89歳  「王国と闇 山本作兵衛炭坑画集」出版
1984年(昭和59年)92歳  老衰のため永眠(5月)
                  妻タツノ永眠(12月)
2011年(平成23年)     ユネスコ世界記憶遺産に日本国内で初めて登録

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年譜をあらためて読み驚きました。
炭坑夫として50年も働いてあるんです。
50年間ですよ。
これは凄い事です。
今の福利厚生が行き届いた時代ではなく、明治、大正、戦前の昭和の劣悪な環境。
さらに三井、住友のような環境の行き届いた大手のヤマではなく、小さなヤマで50年間。

7歳から親を助けて、12歳から62歳まで

男性の方ならよくわかるでしょう。
一つの仕事を50年続ける事がいかに凄い事か・・・
それが、とてもつらい炭坑夫の最前線での仕事。

そして60歳過ぎてから死ぬまで絵を描き続ける強烈なエネルギー。


平成の現代社会の今でも、とてもハードな仕事は、今も多々ありますよね。

たとえば肉体労働の運送業などで、普通の人は、40代、50代ともなれば体が動かなくなり、管理職になったり、事務職や、配車の手配したり、別の業種の仕事をしたり、あるいは仕事を辞めていきますが、それを辞めろと言われるまで最前線の現役で62歳まで。

さらに絵描きになって、炭坑の記録画を画用紙に描きはじめたのが66歳。
そこからユネスコ世界記憶遺産に登録されるような絵を老衰で亡くなる92歳まで。
死ぬまで描き続けられたんです。


こんな芸術家の方っているでしょうか?
炭坑夫時代には、人に言えない、いろんな苦労がたくさんあったんではないか?と推測します。


長女ハツ子さんの病死、長男 光さんの戦死、72歳での交通事故。

作兵衛さんの絵は、地底からの心の叫びのようです。
地底でいろんな事を体験されてこられた事を、心の想いを60歳過ぎて、絵にすべてぶつけられたんだなあと推測します。


そうやって年譜をあらためて調べたうえで、「ヤマの記憶」を読むと、
(と言うか眺めてみると)ついつい涙が出てきます。



「ヤマの記憶」より 


昭和42年11月14日
思いもかけず郷土文化の振興で勲六等瑞宝章をいただきました。
ヤマの下罪人(抗夫)とても勲章をもらうような資格もなく、ただ私の見聞きしたことを忠実に絵や文にしただけでございます。
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学者や小説家の人たちが書かれたものはありますが、実際にヤマで働いた人のはないと聞きました。
片言まじりで恥ずかしいのもかえりみず、絵や文にしたのは数百年後の子孫のため明治、大正、昭和のヤマはこうだったといっておきたかったからです。







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よかったら、田川石炭歴史博物館に行かれてみてください。
絵を鑑賞する事で、今も山本作兵衛さんに出会う事が出来ますよ。

私も、近いうちに筑豊の低山を登った帰りにまた行く予定にしています。



参考資料
「ヤマの記憶」   西日本新聞社
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by katuyamak | 2012-01-30 06:44 | 歴史・偉人・人物館の旅 | Comments(2)

Commented by うすきハッピーリタイアメント at 2012-02-03 05:18 x
 肉まんさん、おはようございます。
歴史に名前を刻む人は強靭な精神力の持ち主ですね。
炭鉱夫として50年間、そして66歳からの絵画と人生を
真摯に送った作兵衛さんに感動です。
今日は新たな息吹を吸収させて頂きました。
肉まんさん、ありがとうございました。

Commented by 肉まん at 2012-02-03 05:56 x
うすきさん、おはようございます。
作兵衛さんは偉大な方ですね。
明治、大正、昭和の炭坑夫の方達は、みんな苦労してあったようです。
女性は、ヤマの仕事が終わってさらに家事、洗濯があり、さらに辛かったと書いてありました。