偉人・人物を訪ねる旅① 伊藤伝右衛門・柳原白蓮

風来坊さんと福岡県飯塚市の伊藤伝右衛門邸を訪問したのは今年の5月。2度目の訪問です。
通常、観光名所の2回目をすぐに再訪する事なんて、滅多にありません。
でもこの伊藤伝右衛門邸はそれだけ魅力ある場所だったんです。
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旧伊藤伝右衛門邸 福岡県飯塚市幸袋300番地
入館料300円 火・水が休館
開館時間 9:30~17:00 
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庭の手入れをするだけで、年間1千万円の保守料がかかっているらしい。
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伊藤伝右衛門
いとうでんえもん
筑豊の炭坑王 1860-1947
父 伝六の目明しの子として生まれる。
伝六が炭坑で財をなすまで、とても貧乏だった。
夏には蚊帳がなく、蚊帳は質屋から出せずにいたらしい。
寺小屋も貧乏で行けず、伝右衛門は文盲だったらしい。
魚売り、卵売り、西南戦争の軍夫、遠賀川の船頭等を経験。

西南戦争が終わり、伝六が炭坑の仕事をするようになり伊藤親子に運が向いてくる。
伝右衛門35歳 日清戦争始まる
経営者の松本潜と実質的な経営者の中野徳次郎と伊藤伝六の伊岐須炭坑を八幡村の製鉄所が買い上げた。
当時の価格で130万円を松本潜は大半を中野と伊藤に分配する。

父伝六が61歳で亡くなると、ここから息子 伊藤伝右衛門の登場40歳。
44歳 衆議院議員当選
45歳 日露戦争始まる~好景気に沸く
55歳 第一次世界大戦

明治43年最初の妻ハルが病死。この9ケ月後に再婚
伊藤伝右衛門52歳。
柳原燁子(あきこ 歌人の雅号で白蓮)27歳 大正三美人の一人

筑豊の炭坑王が伯爵令嬢と結婚する。
この時、この結婚は地元筑豊では驚きと騒ぎ。同じく東京でも大ニュースとなる。

ただしこの結婚は、燁子の兄・義光の貴族院議員出馬資金調達と伝右衛門側の名門との結びつきを求める利害が一致してのものであった。

ここから10年間。伊藤伝右衛門邸の中で筑紫の女王 燁子はカゴの中の鳥になってしまう。
伊藤家の中も複雑で父の妾の子や伝右衛門の妾に妾の子も多数同居していた。
伝右衛門を挟んで妾と一緒に蒲団を並べて寝た事もあったらしい。

伊藤伝右衛門邸の中で燁子は悶々とした日々を過ごしていたんだろう。
当時の燁子さんの毎月のお小遣いが月 500円(現在の月500万円)
に溺れずにお金をとらず、最後は恋を選んだ。

10年後、新聞記者 宮崎龍介と恋仲となり、伊藤邸を逃げ出す。

ここからがこの燁子の凄いところ。
二人で逃げて姿をくらますだけではなかった。
大阪朝日新聞の夕刊に公開絶縁状をたたきつける。

要約すれば 「あなたは最低の夫です」みたいな事をいろいろ書いてある内容。

当時の女性からすれば考えられない大胆な行動。
当時は、そうしなければもう逃げられないと思っていたのかもしれない。


この大胆な行動は後で燁子とその親族を苦しめる結果となる。
兄は貴族院を辞職。白蓮は男児を出産後(宮崎龍介との子)、尼寺に幽閉の身となる。
男尊女卑のこの時代、新聞を通しての絶縁状の公開は大きな社会的反響を呼び、当時の世論は白蓮を激しく非難する声で満ちた。
それでもやがて、宮崎龍介と幸せに暮らす事になる。

私はここから後の行動が伊藤伝右衛門の男らしい素晴らしいところと思っている。
伊藤伝右衛門は二人に対して、姦通罪で訴える事もしなかったし、言い訳もあえてしなかった。
また再々婚するまで、こっそり仕送りもしてあげていたらしい。
新聞に嫁さんから、恥ずかしい公開絶縁状をたたきつけられて、そんな行動が出来るだろうか?

最初に伊藤伝右衛門邸を訪問した時は、私も当時は白蓮さんに同情した記憶がある。
伊藤伝右衛門邸を訪問される女性もほとんどが白蓮さんの味方だろうと思う。
白蓮さんが暮らしていた2階の部屋で泣いておられた観光客の年配の女性を見た。
きっと白蓮さんのつらい時期をいろいろと想像されて、おもわず涙されたんだろうと思った。


でも2回目に伊藤邸を訪問した時に思ったのは、伝右衛門さんも相当にいろんな面を我慢していたんじゃないだろうかと思うように変わってきた。

ただ言える事は子供時代は、貧乏生活で、炭坑夫から成り上がった伝右衛門さんと、伯爵令嬢で教養あるお嬢様の白蓮さんとの夫婦生活はまったくかみ合わなかった事。

そしてその冷え切った10年間の夫婦生活を送った伊藤伝右衛門邸が今も昔の面影を残したまま、平成の今も飯塚市の素晴らしい観光名所として残っている事。

ここに歴史のおもしろさを感じるのです。
当時の人達はスケールが違いますね。

伊藤伝右衛門さんは地元にもたくさん寄付をしてある。
地元のみんなに好かれるスケールのでかい人だったと思う。
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炭坑王の本の最後に書かれてある内容が、二人の事をよく表現してある。

「白蓮は姦通罪をモノともせずに恋人のもとへ走った勇気ある近代女性として、伝右衛門は逃げる女をきっぱり見切った潔い川筋男として、軍配はともに勝者なり。」

伊藤伝右衛門 昭和22年  数え88歳で天寿を全う
柳原白蓮   昭和42年    81歳で死去。
晩年は緑内障で両眼失明するが、龍介の介護のもと歌を詠みつつ平穏で穏やか       な幸せな生涯を閉じる。

離婚しても二人は、明治、大正、昭和の時代を精一杯生き抜いた。

参考資料
炭坑王  宮田昭
Wikipedia 伊藤伝右衛門、柳原白蓮。


 
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by katuyamak | 2011-08-22 05:56 | 歴史・偉人・人物館の旅 | Comments(6)

Commented by うすきハッピーリタイアメント at 2011-08-27 20:23 x
 肉まんさん、こんばんは。
筑豊の炭鉱王伊藤伝右衛門もさることながら、柳原白蓮の波乱万丈の人生も興味深いですね。
”ひるの夢あかつきの夢夜の夢さめての夢に命細りぬ”
白蓮の歌の中で女の情念を見せつけられました。
それにしても伝右衛門さんは男の中の男。
このような人が歴史に名を残すのですね。
Commented by ミント at 2011-08-27 20:27 x
肉まんさん  こんばんは。
伊藤伝右衛門と柳原白蓮のことはよく知りませんでした。
読んで興味がわきました。飯塚に行く機会があれば寄ってみたいです。
                                     ミント

Commented by 悟空の笑顔 at 2011-08-27 22:28 x
こんばんは^^すごい人ですね。どんなにお金持ちでもこんな方はなかなかいませんよね^^基本ケチが多いですから^^;
ソフトバンクの孫さん思いだしました^^
結婚生活、我慢の連続でしょうがまったくかみ合わず本当に恋を知らずに結婚してしまったら悲しいですね。
Commented by 肉まん at 2011-08-28 05:22 x
うすきさん、おはようございます。
伊藤伝右衛門邸を訪ねた時に、2人にこんな歴史がある事を知りませんでした。
機会あれば訪問されてみてください。
いろいろな資料が残されてます。
Commented by 肉まん at 2011-08-28 05:30 x
ミントさん、おはようございます。
人物館訪問の旅の1回目です。
筑豊の炭坑王と大正三美人の筑紫の女王。
ともに波乱に満ちた人生でしたね。

なお、「炭坑王」は私は最初に読書に目覚めた本ですが、読み慣れてないので20時間も読むのにかかりました(笑)
Commented by 肉まん at 2011-08-28 05:45 x
悟空の笑顔さん、おはようございます。
伊藤伝右衛門邸が観光で人気があるのは、伊藤伝右衛門さんだけではないのです。
そこに白蓮さんが住んでおられたのが、女性に人気があるところなのでしょうね。

でも昔の方はスケールが違いますねえ。
なお伝右衛門さんの家は、福岡の別邸は火事と空襲、別府の別荘は海軍に献上して今は飯塚市幸袋しか残されてないそうです。